昭和41年02月10日 朝の御理解
私の信心を、ま、申しますならば、食べる資格のない私。着る資格のない私。こういう家に住まわせて頂く資格もない私。にもかかわりませず、こういう不自由もない家に住まわせてもらい、その資格もない私に、お食事をお許しくださり、着る資格もない私に、勿体ないほどのものを身に付けさせて頂くと。
ほんとに、天地の親神様のお働きの中には、食べまいとしても、食べささずにはおかんと、着るまいとしても、着ささにゃおかんと、もう、これでいいですと言うても、やはり、いやが上にも、立派な住まいにも、住まわせねばおかんというような働きをです。ここ十五年の間に、もう、ほんとに、もう、本当に、それを実感させて頂いて参りました。そういう資格のない私にです。
神様がこうして、例えば、これ、衣食住だけのことではありませんけれども、その衣食住のことにおきましても、資格もない私に、おかげを下さり、そこに、勿体ないと、ほんとに勿体ないと。その勿体ないという心にまた、次のおかげを下さっておるというのでございますから、どうでもやはり、ここんところを、分からせて頂かなければ、いわゆる、尽きぬおかげということになってこんのじゃないだろうかと。
このくらいのことは当たり前、というようなです。私最近、お食事というのは、もう、ほとんど麦ばかりのご飯を頂いております。夜はもう、以前から麦のお粥さんでございましたけれども、今はあの、パン食です。小さいこの、パンを二切れです。勿論それには、副食物が色々ございますけれども。そのう、それがですね、ほんとにその勿体ない。ね。その勿体ないというのがその、実感であり、ま、必ずその、勿体ないに、いやが上にものおかげが伴のうておると。
私の信心を申しますなら、そういう資格のない私に、神様が与えてくださる。本当に勿体ないことだと。その勿体ないことだと、いうならば、その受けもので、私はおかげを受けておるとこう思うのです。ですから、もういよいよ限りなく私というものが、掘り深められ、そして、そこからまた、限りないおかげを受けておる。
これは、フランスのお話の中に、皆さんもご承知でしょう。ある農家の、お父さんがその、亡くなられるときに、三人の子供達に、自分は、百姓で、何にもお前達にしてやっることが出来なかった。何にも残してやることも出来なかった。そこに、少しばかりのブドウ畑があるだけだと。けれども、これはもう、お前達のために、あの、ブドウの畑の中にです。得がたい宝を埋蔵しておる。いけておる。
私が死んだらどうぞ、それを皆さんが掘り上げて、そして、みんなで仲ようそれを分けて、そのう、分けてくれという様な意味の事を遺言して亡くなったと、こういうわけなんです。そこで、三人の子供達は、毎日、来る日も来る日も、どこにいけて有るじゃろかと思うてその、ブドウ畑を掘り耕したということです。ところが、その年のブドウの収穫は、もう、何時もにも増して、見事なブドウの収穫が出来たとこういうのです。そして、三人のものが悟ったということはです。
ははあ、父親が残してくれたのは、これであった。ね。耕せば、耕すほどブドウが綺麗に良くできたと。怠けるな、怠けるなと。百姓は田に出て、一生懸命に耕すんだという事を、教えてくれたんだという事を悟ったという意味のような話がございます。ね。私共も、本当に、自分というものを、耕せるだけ耕やさせて貰い、掘り下げれるだけ、掘り下げさせてもらい、ね。そこから、別にこれということはないのだけれど、いわゆる、教祖の神様の、これで済んだとは思いませんと。
ね。ほんとに、どんなことが出来ましても、それで済んだとは思わんと、というようなこの、信心の内容というようなものは、私は、自分というものをギリギリ見極めさせて頂くところから、頂けるのじゃないかとこう思うのです。
昨日、久保山先生ところの、お祭りを奉仕させて頂いて、帰らせて頂いて、もう、ほとんどの皆さんが、また、ここへ遅くから、お礼にみんな出てまいられます。そげにせんでも良かろうごとある。朝も参いっとるし、ね。もう、善導寺でも、皆さん御無礼しますと言うて、別れてもいいようなものだけれどもです。ね。やはりそこには、そうしなければならないもの。からと言うて、それで済んだとも思わん。帰りましてから、長男が私に、もう、大変なお祭りだったが、ああいう、大げさなお祭りをしなくてもといったような意味のことを申します。
それは、椛目の御信者さんほど宅祭に、あんなに一生懸命にお祭りをなさるのは、私も知りません。これは、もう、久保山先生のことだけではない、皆さんがそうです。もう、一生懸命のものなんです。そうだなあ、いうなら、椛目の非常時なんだもん。ね。ないないで、いわば、その、宅祭だから、宅の祭だから、もう、ささやかにでも、真心込めてさえすれば良い。
だけれどもね、お父さんの信心は、それじゃないのだと。ああせなければならんというわけじゃないのだけれども、自ずと、ああいう風になってきた。お父さんの信心が、ああいう風に皆さんの信心の上にも反映してきておる。例えていうなら、まあ、人間の、一番大事なものは命である。
あのお祭はね。家族中のものが、いわば、命を捧げるのだと私は思う。年に一回の謝恩のお祭をさせて頂くのは、一家中のものが命を捧げるのだと。ね。命を捧げるためには、やはり、お米が入ろうがと、燃料が入ろうがと、いうならば、お金が入ろうがと。ね。人間の一番大切なものといえば命なのだと。その、命を捧げてくれるものは、いうなら、お米であり、または、ものであり、または、ギリギリのところを現在の事で言うならば、命を支えてくれるものはお金なのだと。
お金があれば、お米も買える。燃料も買える、お魚も買える。いうならば、そのお金そのものが命なのだと。一番大切なもの。その、一番大切なものを神様の前に、捧げてするのが、お父さんの生き方であり、それがお父さんの謝恩祭でなからなければならないと思うておる。昨日、お父さんが、あの時も言うたように、あのお祭を奉仕させて頂く前に、頂いたことが、久保山先生が、ネクタイを締め過ぎらず、ゆるく巻く、きちっとこう締めておられるところを頂いたが、ね。
そのために、息が切れるというように、ネクタイが締め上げられておってもいけない。例えば、お祭のために、いわば、今月は食べんでおらんなんと言ったようなお祭であってはならない。かと言うて、もう、こんくらいのこっで良かといったような、ゆるいネクタイを締めておったとしたら、こげな見苦しいことは無かじゃないかと。それでは、神様には通わんのだと。ね。その人、その家、ね。そこに、つういっぱいの思いを、そこにお祭に奉仕させてもらう、つかわせて頂くということが、謝恩祭なんだからと。ね。これで済んだとは、例えば、ほんなら、久保山先生でもやはり、一生懸命、これで済んだと思わんというものが、勿論、その中には、なからなければならんけれども、
それでいて、これで、現在のところでは一杯でございますというものが、あのお祭でなからなければいけんのだ。というて、私の、まあ、謝恩祭、私の宅祭を奉仕させていただく、ま、精神というようなものは、そんなものなのだ。ね。そこに、おかげが頂けてくる。なるほど、私が、いわゆる、久保山豊が、仕えたお祭じゃなかったなあ、神様が仕えさせて下さったんだという事を、その後に体験するだろうと私は、まあ、そういう意味のことを申しましたことでございます。
椛目のお祭りというのは、もう、ほんとに、あれが、形だけではないですもんね。昨日、こう言うた事も、申しましたように、この日だけは、この日だけは、いよいよ信心にならせて頂いて、まあ、私が言う、何時もの言葉を持って言うならば、限りなく美しゅうならせて頂こうという、あれが現われなのだ。ね。一切が、例えば、あの日のことについての、ほんなら、神様の前に、その、いうなら、命を捧げるというような意味合いのものなのです。だから、あのお下がり一つだって、私的、私的な、私視してはならないというのが私の流儀です。
ですから、椛目の人たちが、宅祭りをするという時には、それだけの精神がなからなければ、宅祭りをするしこはなかと私は、みんなに申しております。たーだ貴方、その、どうせ、家に使わんならんとに、あとからお下がり頂いたっちゃ良かっじゃもん。ほらもう、缶詰でん、お酒でん、こうするしこお供えしとる。あとからまた、家に頂くとじゃけん。ち言うなら、そらお祭りの内じゃないです。それが、全部捧げられるところに、椛目で皆さんが仕えるお祭りの意義はあるのです。
私の信心を申しますなら、本当に、食べる資格も、着る資格も、いわば、こういう家に住まわせて頂く資格もない私にもかかわらす、神様がこうやって与えて下さる。ほんとに勿体ない。その勿体ない、その、勿体ないという、それが私のおかげの受け物であるというように、ね。資格もない私共が、一年中こうやっておかげを蒙ってきたと。にもかかわりませず、こういうおかげを頂いておるという、その喜びの印が、例えば、お祭りが、お祭りという形になり、ね。
それでいて、ほんなら、これで済んだと思わないというようなその心がです。久保山の家の上にもまた、今年一年おかげの受けられる、一つの、おかげの受けもの。そういうあり方になればなるほどにです。神様が、やはり、与えなければおかない、着せなければおかない、食べさせねば置かないというような、働きが、いわば私流儀に、それぞれの上に、家の上に頂けるものだという事を、私は確信しております。皆さんも、それが段々確信できてくるところから、ああした、言うなら、惜しげ、悪しげの無い、しかも一杯のお祭りが出来るのじゃないかとこう思うのです。ね。
いわば、頭で考え、計算ずくでいったらです。私は、一人でもお参りが少なか方が良か。そうでしょうが。けども、そこんところにです。私は、その、色々分からせて頂かにゃならん。為には、それが、いよいよ、よりこれで済んだと思わんという内容と同時に、より、有難いものにして行くためにです。いよいよ、その、フランスの小話ではないですけれども、ね。
いよいよ、掘りに掘り、耕しに耕さしてもらい、掘り下げさせて頂くほど、掘り下げさせて頂くほどです。そこから、良いものが、良い宝が、今までに見たことの無いほどの、収穫を得る事の出来れるおかげが受けられるものだと私は思うのです。どうぞ一つ、皆さん、もう、御道の信心はもう、どこまでもですね、当たり前ということはありません。信心も出来ませんのに、やはり、私のようなものにであり、にもかかわりませず、こういうおかげを頂いてと、これは決して、自分を卑下するのじゃありません。
金光教の信心で、いわば私のようなものにと、という時にはです。その私のようなものにというのが、本当のものであればあるほどです。そこには次の宝が約束されているのですから。次のおかげが約束されているのですから。もしそれが頂けないとするならばです。ね。私が、掘り下げておるということは、それはほんな掘り下げ方じゃないと。これは私が十五年からの体験から、それを申し上げることが出来るんです。
その、ほんとに、私のようなものに、かくまでもおかげを下さってという、その事にです。ね。勿体ないという心が自ずと湧いてくる。私は、今日は、その事ばかりを、神様の前にもお礼を申させてもらい、御霊様にもその事をお礼申させて頂きましたら、もう、ほんとにその都度都度に、御イサミを頂きましたですね。本当に、金光様のご信心はですたい、もう、ほんとに、その資格もない私であるというほどの、いわば、この、掘り下げ方というものが必要であるということ。
掘っていけば、掘っていくほど、良いものが、その生まれてくるということ。ね。掘り下げれば掘り下げるほどです。実際が勿体ないということになるということ、必ず。その、勿体ないという心が、おかげを受けていく基になるということ。私共が、福岡の、修行中の時分に、四畳半の畳も引いてない、雨の日には上から、御神様の前に、小さいお祭りしておるその、畳半畳ぐらいのところに押し固まって、休ませていただいた時代。それでも私は、あれ以上のものに住もうとは思わなかった、あの当時
。今でもそれを思っておる。ね。それ以上のものには、住もうと思っていない私にです。ね。先生、この部屋に、住んで下さい。この部屋に住んで下さいと、ここに、十五年のおかげ頂いている間だけでも、何回、私の住まいが変わりましたことか。ね。そして、現在、ほんなら、合楽に、ああしておかげを頂いております。もう、今、ほんとに、私は、昨日、一昨日、久富さんが、迎えに来て下さいましたから、自動車で、ちょっと見せて頂きましたが、本当に、見事に出来ている。
ほんなら、もう、近い将来にはです。どうぞ先生、ここへ住んで下さいと言うことになるに違いないと思うのでございますけれど、それ、一切がです、とても、私共、そういうところに住む資格のない私というにもかかわらず、こういうおかげを下さってということに対する、お礼と、勿体ないというその心に、おかげを下さっているんだと私は思うのです。ね。どうぞ、そこんとこは、私は何にもない。皆さんに上げられる何物もないけれども、皆さんが、掘り下げれば、掘り下げるほど、そこから宝が生まれてくることを、私は、私の体験から、皆さんに申し上げることが出来る。
どうぞ、おかげを頂かれますように。